〒933-0946 富山県高岡市昭和町2-3-1
会社名 | 株式会社 関文吉商店 <セキブン> |
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住所 | 〒933-0946 富山県高岡市昭和町二丁目3-1 |
連絡先 | TEL 0766-22-0442 FAX0766-22-0377 |
sekibun@leaf.ocn.ne.jp | |
資本金 | 1000万円 |
設立 | 1977年 |
社員数 | 9名(役員4名)2020年3月現在 |
◆役員◆ | 代表取締役社長:関 清隆 代表取締役会長:関 文雄 役員:関 由美子 役員:関 しおり |
取引金融機関 | 高岡信用金庫 北陸銀行 北國銀行 |
事業エリア | 富山、石川、福井、岐阜 おおむね当社から100km圏内 |
事業内容 | 製鋼、鋳造原料、非鉄金属原料の仕入れ、選別、加工、販売 産業廃棄物の収集運搬および中間処理 計量証明事業 |
取扱量(代納、非鉄金属を含む) | 月間約1000トン |
主な納入先 | 大谷製鉄株式会社、水野産業株式会社 |
昭和初期ごろ |
初代 関文吉により鋳造の盛んな富山県高岡市金屋町で個人商店としてスタートする。 小さな熔解炉を使いアルミ鋳造で、鍋や釜をつくっていた。その当時は二次合金インゴット塊もなければ、JIS規格も整備されておらず。市中から出てきたアルミ屑を集めて原料としていた。これが当社の始まりである。 |
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昭和27年ごろ、戦後 |
商業登記を行い関文吉商店となる。併せて2代関清二が代表取締役社長に就任。アルミ鍋や、釜の製造に加え、都市部で導入の始まったアルミ屑プレスを買いつけて回り、地域の仲間の鋳物業者に販売を始める。 現在のように治安も良くなく、他県の情報がほとんどない状況で、多額の現金を持ち旅に出て、高価な金属塊をトラックや貨車で持ち帰ることは大変危険な行為だった。その販売先などで発生した端材や切子などの回収を通じて、徐々に金属リサイクル業の比率を多くしていく。 また、手塚興産製(現モリタ環境テック)の小型油圧プレス機で、トタンやウスモノといわれる老廃鉄くずをプレスし始めた。 |
昭和36年 |
現在の高岡市昭和町へ移転する。手塚興産製プレスをリプレースする。ペンダント式のリフマグ導入。日本人の日給が4~5千円の時代で、4トン車に3人が乗り込み、積み込みはすべて手作業で行っていた。 この頃には金属リサイクル業に専念しはじめる。この頃には、プレス加工したBプレスを大谷製鉄株式会社に納入を始める。 |
昭和49年 |
大型の手塚興産製の油圧プレス機を導入、自動車ガラもプレスできるようになる。
この頃からヒアブ特装車やリフマグ付きレッカー車が集荷の主流となりはじめる。 山間部や沿岸部の田舎町では、当時、ヒアブワンマンローダーでの積み込みは珍しく、 鉄くず屋がおかしな機械をうごかしていると見物人が集まったらしい。 |
昭和52年 | 法人化し、株式会社関文吉商店となる。富士車輌500tギロチンを導入。あわせて、天井式クレーンリフマグを導入する |
昭和58年 | 昭和58年 富士車輌800tギロチンへリプレース。現在と同様に、集荷はヒアブ特装車が主流となる |
昭和61年 | 関文雄が代表取締役に就任 |
平成8年 | コマツPC350Lラバンティカッターを導入、大物切断クズの解体が容易になる |
平成14年 | 自動車リサイクル法の施行に伴い、自動車解体、自動車ガラのプレス加工を辞める。 当社の得意先に自動車解体業者が多く、過当な廃車の集荷競争を避けたのが理由である。 |
平成28年 | 有限会社大和陸運に協力を仰ぎ、一部、納入販売する鉄くずのセミトレーラー輸送を始める。 |
令和2年 | 関清隆が代表取締役に就任 |